便利さによって失われた何かを求めて~昭和初期の日本建築2

ペンションオーナーの旅行記

明治半ばに高級料亭として開業され、現在の建物は昭和初期に建てられた、北九州の門司にある三宜楼(さんぎろう)に出かけた。石油の前の石炭の時代には、門司港は石炭の積み出しや海外貿易の拠点として栄華を極めた時代でした。当時の大手企業や官庁の社交場として、また高浜虚子が俳句を詠んだ俳句の間や、能が上演された格天井と見事なシャンデリアが再現された大舞台など文化発信拠点であった足跡なども見られました。

また各和室ごとに変化を持たせた下地窓や欄間は見ごたえのある多彩なバリエーションのしつらえが施してあり当時の高度な建築技術が見て取れる貴重な建築物となっている。が、解体取り壊し、売却の危機にさらされたようです。志の高い有志による募金と保存署名により、所有権を取得、その後北九州市に寄贈され、取り壊しの危機から難を逃れることができたそうです。ち密で繊細な伝統的木造日本建築がさらに時代を経て、白木だった木に深い味わいや風格が加わり、見ごたえがあった。なぜか、海外に行くほど日本が好きになる。効率優先に考えると、文化的価値の尺度はどこかに行ってしまうのでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました